基本情報
▫︎ニックネーム いくゆか
▫︎生年月日 1986年6月
▫︎家族 6&9歳の娘
▫︎職業 会社員(航空サービス業)
▫︎休日の過ごし方
ホームパーティ・ピクニック・英語学習
▫︎好きな映画
プラダを着た悪魔・マイインターン・プリティウーマン・ハリーポッター
はじめまして、Webマーケティング勉強中の いくゆかです☺︎
貴重なじぶん時間に、プロフィールを覗きにきて頂きありがとうございます。
このページでは、
フルタイムのワーママでありシングルマザーである私が、
どうしてWebマーケティングを学ぶことになったのか、
これまでの経歴と背景と共にお話していきます。
幼少時代
幼少期 3歳で作られた価値観「みんなちがって皆んな良い」
5人家族の長女です。年子の弟と2つ下の妹がいます。
父は銀行員で某外大出身だったためか、幼少時代に2度の海外転勤とそれに伴う引越しを繰り返しました。
ようやく物心がついてからの私の記憶は、ロンドンから始まります。
ブロンドの髪に青い瞳のメアリー、インドの衣装であるサリーで登校する友人もいました。
彼女が5才にして耳と鼻にピアスをしている姿を今でも覚えているので、幼いながらにきっと羨ましかったのだと思います。
3歳から10歳、人格形成期を多国籍多文化の国で過ごしたからか、今でも“誰かと同じ”であることを好みません。
「誰かが目立つことをすると周りが羨ましがるので、アクセサリーやボディシールはやめてください」と娘の保育園で説明を受けました。何その理由‥違和感でしかない
“みんなが〇〇だから右に倣おう”という日本の風習にまったく馴染めず、「なんだか居心地良くないな」と、どこか窮屈さを感じながら後の人生を過ごしていきます。
“縛られずにありのままでいたい”、 “みんなちがって皆んな良い”
という価値観が3歳ですでに形成されていたからだと、気づいたのはつい最近です。
小〜中学生の頃 困っても大人は助けてくれない
小学校3校、中学校3校、“転校生”と呼ばれ続けた時期です。
だからといって、友達を作るのが上手い訳ではなく、むしろ激しく人見知りをします。
幸いにも周りの友達には恵まれ、
小3の時は「イギリスのロンドンから帰ってきた子」、中2の時は「香港から帰ってきた女子」と、興味本位で話しかけてくれる子がたくさんいたので、友達作りに励む必要はありませんでした。その頃の友人には大変感謝しています。みんなありがとう☺︎
さすがに中学も2年生にもなると、大好きな友達と離れたくないと言う思いは大きくなります。泣き弱って転校を断固拒否して母を困らせました。
今自分が母親になって思います、親の都合で子どもを振り回してしまう、母もどれだけ心が痛かっただろう‥
中学3年の時に生まれた半地元に戻りました。
再会した友人らは「おかえり!」と他のクラスからも駆けつけてくれましたが、思春期真っ只中の多感な時期、チヤホヤされる転校生をよく思わない一部の子から初めての“ハブられる“を経験します。あれ、結構きついですよね。
しかし、自分は長女だし、中学生活の残りわずかの期間だしと、なんとか自分の中で消化しようともがいていました。
せめて何か爪痕を残そうと、高校受験の面接に備えた予行練習で、校長先生に面と向かって「この学校は嫌いです」と言ったのは我が家の伝説です。 気の強さは今も変わっていません。
いつの時代もなくならない現象であることは、社会を理解した今ならわかりますが、
その頃は“先生も親も助けてくれないのか?!”と、
結局自分しか自分を助けてくれないんだと考え始めました。
それからは、親にすら悩みを話すことが減り、進路や人生の大小ある決断もほぼ事後報告となっていきました。
人に頼るのが下手になっていくきっかけです。
専業主婦の母に育てられて想うこと
22歳で私を産み、25歳で日本から14時間離れた異国の地で、乳飲み子を含む3人兄弟を育てる(上2人は毎日お弁当)生活を5年間も続けてくれました。
当時はSNSどころかインターネットも存在しない、連絡手段といったら数ヶ月に一回の親との国際電話という孤独感‥想像できないな。
感謝してもしきれないはずなのに、中学?高校生だった私はそんな母に向かって、
「昼間ずっと家にいれるんでしょ?ママはいいなぁ。
でも私はママみたいにはならない、結婚しても絶対仕事続ける、暇そうだもん」
とデリカシーのかけらもないことを言っていました。
引っ越しを繰り返す度に、手紙のやり取りをしていた友人とも連絡頻度が薄れ、次第に外に出かけるのも好きでなくなる母を見ていました。
それが理由か、私はバリバリ働き続けて職場でのコミュニティも、学生時代の友人関係も維持したいと無意識に反面教師にして生きてきた気がします。
さらに、日中家で仮眠を取るために母が確保している “何もない空白の時間”が何よりも理解できませんでした。
大学4年生の頃は、スタバ早朝シフト→授業→サークル活動→夕方から地元のファミレスで締め作業という4時間睡眠がデフォルトの生活を続けていました。
それは社会人になってからも変わらず、休日は必ず予定を入れる、なくても街には出るという過ごし方でないと逆に落ち着かないのです。
子供が少し大きくなってからは純粋に体力に限界を感じること、
また最近勉強を始めてからは、“予定を入れない”という予定をブロックしておくことも一つテクニックと知りました。物理的にも精神的にもどこかに空白や余裕がないと、新しいものは入ってきません!
話は戻りますが、
まだ未熟だった自分の視点からは「空白の時間」だらけに見えていた母親の人生が、どうしても理想的で魅力的ではなかったのだと思います。
仕事に対する責任感と熱い想いを持つようになったのです。
就職〜離婚
就職 夢だった仕事、現実とのギャップ
ドラマ「やまとなでしこ」に影響されて、CAを目指していました。
が。154cmで機内頭上の荷物入れにも手の届かない私は早々に現実を受け入れ、地上の仕事を選びます。
搭乗口ではミスの許されない状況とタイムプレッシャーでお腹が痛くなることもありますが、もうすぐ勤続15年(うち6年育休)、いまだに大きな飛行機を前にするとワクワクが止まりません!オタクですかね。
ただ女性が9割の職場なので、ご想像通りのストレスはつきものです。また、4勤2休のシフト制では時間の制約が多すぎる上、現場のスタッフの頭数を確保するために2ヶ月前に申請する有給休暇すら有無を言わさず却下されることもざらです。
世間からは華やかなイメージを持たれがちな職種です。
しかし実際は(身だしなみを含め)ガチガチに固まった規則、上がらない給与体系にモヤモヤする日々。
また、所詮は会社員なので代わりならいくらでもきくんだよなと、自分の存在意義を自問するタイミングが周期的に訪れます。
シングルマザーという決断
シングルを考え始めたきっかけは、パンデミックでした。世間で噂の「コロナ離婚」に背中を押されたとか押されてないとか。
育休中に元旦那の転勤で2年弱ベトナムはホーチミンに駐在していました。
後々友人も増えて、長女の幼稚園の送迎や下の子のママコミュニティにも入り、毎日ある意味では充実していました。
でも無給の私は、100%旦那に“養われている”状態、そんな自分の状態が許せなくなり、ますます惨めさが拭えなくなっていました。カフェのコーヒー1杯すら躊躇する、ランチもメニューよりも値段を見ながら注文する、私の望む未来はこんな生活じゃない!
復職か退職かの決断のタイミングで、娘を連れて3人で逃げるように帰国しました。
せめて好きな時にカフェラテを飲めるだけのお小遣いを稼ぎたかったからです。
しかし、時短で働く中で “最低限食べてはいける”、そして“毎日クタクタだけど1人で送迎もできている”ことに気づきます。幸か不幸か、事務手続きも、家具の組み立ても、家電の修理も着々と新しい能力をつけていった私は、もはや蓋の固い瓶に遭遇した時以外は「ここに男性がいればな‥」と思わなくなっていました。
想像してみてください、寝ても覚めても女子3人生活‥完全ストレスフリー!!
家庭環境が子どもに与える影響を天秤にかけて、シングルマザーになる事ををついに決断したのです。
ワーママと娘たち、女子3人での生活
今は都内の(室内はリフォーム済み)年季のあるマンションの8Fで、もうすぐ10&7歳になる姉妹と3人で暮らしています。
養育費を家賃の半分に充ててしまっているので、財布に余裕はありません。
おやつは1日200円まで、外食は〇〇のお祝いなどの理由がないと躊躇してしまいます。
私自身小さい頃は、(父親のお陰様様で)週末はもっぱら外食、姉弟妹何でもきっちり3人分与えてもらえていました。だから昔の自分と今の自分を落差と感じずにはいられないし、毎日娘たちに申し訳なさでいっぱいです。
福利厚生に助けられて旅行には時々連れて行けますが、気兼ねなくお金をぽっと出せる人はやっぱり羨ましいです。ごめんよ、娘たち。本当はお菓子に一日500円使いたいよね。
- 結婚したら十分な広さのマイホームを買って、時々親を家に招待する
- 母の日や誕生日には旅行プレゼントしたりして親孝行できるんだろうなぁ
と漠然と想像していました。
しかし現実ときたら
辛うじて出戻りはしないものの、年に1〜2回実家に遊びに行けば夕飯をご馳走してもらったりお土産を持たせてもらったりと、想いとは裏腹、いまだに貰ってばかりです。
そんな自分が情けなくて悔しくて‥こんなはずではなかったのに
長女の私はシングルになったとて!(弟妹はいまだに実家暮らしなので)
- 自分の力だけで子供達を健康に育てなければ
- 離婚してからは3人の暮らしを確立しなければ
- 母役だけでなく父役も私。寂しい思いはさせてはいけない
と必死で生きてきました。
シングルマザー どん底から“一家の大黒柱“を目指す
35歳 人は一年で別人になれる
英語を話し始めてポジティブな自分に
産休中にコツコツ貯めていたお金は引越しと諸々の費用として消え、残り20万程、
給料日↔︎カードの支払日で±0の日々、さすがに心が荒んでいきました。
(貧乏生活の中でも唯一の楽しみであったアーティストの活動休止も追い打ちを‥)
どん底な自分の何かが変わったら!
そんなの思いで、インスタで追っていた女性が企画した「英語オンラインサマーキャンプ」に申し込みをします。これが人生の転機でした。
束の間の休息は推し活かSNSだった生活が一変、夜はzoom勉強会、毎日の単語+週末テストのためここで負けず嫌いの自分を大いに発揮し、家事中も“ながら”英語学習に注力しました。
「帰国子女?そりゃそんな喋れるよね!」とよく言われます。
ちがいます。人並みに、いやそれ以上に努力しました。
でもそのお陰で朝活歴も早3年、変わらず5時台には起きています(※趣味です)。
努力とかけた時間は裏切らないことを身をもって感じています。
英語の世界にのめり込んで得たものが2つあります。
- 人はオープンに自分を発信できると、ポジティブ&幸せを感じる
(極ネガティブ人間の場合は人生までも変える!)パワーがある - そこで出逢った、世代も境遇も、まったく違う仲間たちと話すうちに
誰かに頼る生き方ではなく、自分の力で満足に稼ぐ一家の大黒柱になる!!
と心新たに決意できた
今Webマーケティングの勉強時間を、うまく生活の一部に取り入れられているのも、この経験があったからです。
週5日フレックスの部署へ出向、これぞ「仕事 x 子育て」の理想系
実は今、ITを推進する部署に出向しています。
理数講義離脱、ロジカルとは?の私なので、理解が遅くて眉間に皺、頭を抱えることもありますが、幾つになっても新たな挑戦ってワクワクします。
やってみたいことは山ほどある!
でも頭でっかちですぐ行動に移せないのが自身の欠点です。
なので否が応でも貴重な機会を与えてくれる会社員もそう悪くないかな?と思うこともあります。
しかし気づいてしまったことがあります。
月金・フレックスタイムという働き方、神。
娘たちの行事にはフル参加、
「今からお友達うちに呼びたいんだけど良い?」という突然の長女からのお願いにも対応できるようになりました。
長く入団を待たせていた活動土日メインのサッカークラブにもようやく付き添えるようになったのです。
仕事をしている自分が好きが故に、「仕事x子育て」は私の永遠のテーマなのだと再認識しているところです。
娘たちに寂しい思いはさせたくない‥今すぐに働き方を変えなくては!!!
お金の大学で勉強、人間らしい生活へ!
人は物理的にも精神的にも貧乏だと擦れた人間になっていきます。
原因はそこだと気づいてからは貧乏を嘆くのをやめ、お金の勉強を始めました。
それまで数字という数字から逃げていた私ですが、自分以外に家計管理してくれる人はいない!一家の大黒柱の責務です。
(勉強を経て、みずほ・住友・住信のアプリを我が家の経理担当に任命しました)
大学資金についてはあと5年もすれば政府が無償化やらかなりのサポートしてくれることになっていると信じ、
とりあえずは目下3年を我慢せず楽しく過ごせるだけの余裕資金を作ろうと決め、
無料FP相談、ABCashのお試し、その他セミナーに積極的に参加しました。振り返ってみて結果一番役に立ったのは
という書籍、その他にも10冊弱読みました。
するとマネーリテラシー0の人間でも、収支が整理され、気づけば400万の資産を作ることができています。あれ、35歳でも本気出したら1年で別人になれる!
今は国内株や米国、外貨預金、少しだけ冒険してビットコイン運用、配当を再投資に回したりして、お金を貯めるフェーズから「増やす」フェーズにステップアップしています。
「お金がないからムリ、買えないよ。」
と言っている自分が情けなくて悔しくての繰り返し、
このままではいけないとも気づいてるのに、その環境から抜け出す勇気がない自分。
5年後も10年後も、今と何も変わらないという恐怖と虚しさのループ。
でもどうすればいいか迷った時は、自分が嫌苦手だと思ったことから、
逃げずにあえて選択してみると自分を変える突破口になると実体験から学びました。
家庭の収支だけでなく、精神面でも大きく改善されたのが最近です。
36歳 「チャンスを掴むなら今でしょ!!!」
日本一のWEBマーケティングスクール
半年ほど、美容系のMLMに登録していました。
最終的には、セミナーで自己分析をする中で、自分は美容には興味はない、自分が本当にやりたいことは他にあると気づき、辞めることになりましたが
Webマーケティングに辿り着いたきっかけがここに2つあります。
- SNS運用できれば欲しい人だけが集まるから、時間もお金もセーブできるよね?
- 自分を見つめ直して気づいた本当にやりたいこと→得意な分野の発信
自分の一番の強みを聞かれた時に、チームメイトがメイク・ダイエット・起業家マインドなどそれぞれ答える中、私には英語しか思い浮かびませんでした。
得意でないことを話そうとしても、すぐにネタに限界がくる、そもそも自分が楽しくない‥あれ、私が人前で語りたい・発信したいのは自分の専門分野だったんだ!
そうして夢には気づいたものの、自分にはそんな知識も技術もありません。
‥いや、待って、いる。
大好きな女性起業家さんが運営するオンラインサロンの講師に、プロがいる!
彼女でさえも「この人しかいない」と慕う方が運営するWebマーケティングスクール、自分にとって最後のチャンスだという気持ちで、大きな自己投資を決断したのがちょうど2ヶ月前の私です。
Webマーケティングスキルを身につけられれば、
- 子育て x 仕事の悩み (時間と場所に縛られない)
- 今と将来のお金の悩み (子どもたちの将来の選択肢もふえる)
- 身を置く環境の居心地の悩み (同じ価値観の人といられる)自分すべてが叶えられるのです。
これから目指す未来
子どもには人生120%楽しんでもらうために応援したい、でも自分も残りの人生楽しみたい!
本気で今いる環境から抜け出したいの一心で、
私のWebマーケティング修得の過程のすべてを惜しみなくアウトプットをしていきます。人の今の状況は、その人自身が選んできた道、ならばこれから先の未来も、自分で決められるということです。
良ければ私を実験台として見守っていてください♪頼られると俄然やる気がでる人間です
- もっと親孝行したい
- こども好きなことを全力でサポートできるだけのお金と心の余裕が欲しい
- 一つの価値観に縛られずに生きて欲しい
- 将来の選択肢を増やしたい
- 本当は自分にも叶ったらいいなと思ってる未来がある!
思えば、妊娠ヒステリーからずっと“自分を満たしてあげていなかった”事がすべての負のスパイラルの発端だったんだと思います。
ここまで長々とお付き合い頂き、ありがとうございました♪
Have a nice day
ブログコンセプトの記事で
・このブログを始めるに至ったたきっかけ
・誰にどんな未来を届けられるか
合わせてお読みいただけると少しパワーになるんじゃないかなと思います:)